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団体設立までの経緯

1980年代までは世間を賑わせ、お茶の間でも愛されていた「こびとプロレス」。

しかし、現在日本で活動しているプロレスラーは、プリティ太田とミスター・ブッタマンの2人しか残っていません。そんな「こびとプロレス」を再生させたいという想いで「こびとプロレス再生プロジェクト実行委員会」を有志メンバーが結成。

8/22に開始したクラウドファンディング『存続の危機を救え!こびとプロレス再生プロジェクトへご支援を!』は 10/15に終了し、こびとプロレス専用のリングを購入することに成功しました。 そして、株式会社つばきHOLDINGSがプロジェクトの運営主体となり、大田区に日本初のこびとプロレス専用の道場を開設。

同年12月7日、こびとプロレスの団体・椿ReINGz(ツバキリングズ)を設立。記者会見には、ダンプ松本選手、ザ・グレート・サスケ選手らが登壇し、話題となりました。

メッセージ

子どものころからプロレスの大ファンでプロレスラーに憧れていましたが、自分の体ではプロレスラーにはなれないと思っていました。こびとプロレスの存在を知り、自分もリングに立てるのではないかと、希望を抱くことができたのです。

けれども、自分がプロレスを始めた時、すでにこびとプロレスは衰退していて、現役のこびとレスラーはブッタマンだけという状況。2人で試合をして、練習をするしかない。練習できる場所も、リングに上がれる機会も少ない。夢はあっても、先に進むことができないというジレンマを抱えてきました。

 こびとプロレスの存続は、自分たち次第だとわかっているのですが、二人だけでやれることは限られています。こびとプロレスの再生は、自分にとってのデスティーノ(運命)です!ぼくたちが動かなければ、日本のこびとプロレスは消えてしまうかもしれないのです。メキシコやアメリカのように、小柄な身体をいかして飛んだり、跳ねたり、激しく明るく楽しいプロレスの魅力を伝えたい。そして、「プロレス=野蛮」ではないことを広めたい。

 ほかのプロレス団体と試合をしたり、テレビに出たり、子どもたちに出前プロレスをやったり……。自分がこびとプロレスと出会ったことで「プロレスラーになりたい」という夢をもつことができたように、たくさんの人に夢と希望を届けたいのです!

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プリティ太田(椿ReINGz所属選手)

2020年の後半、人を介し、一般社団法人Get in touchのお手伝いをさせていただくことになった。

社会に貢献する方法を自分達なりに模索している時だった。その時に目の当たりにしたのが、当時お茶の間を沸かせた『小人プロレス』だった。もの凄く懐かしく、子供の頃の記憶が割と鮮明に蘇った。

親父は高度成長期最中の建設業、お袋は証券業、妹とテレビに噛り付いていた時期が長かった。そんな中、茶の間で腹を抱えて笑った『小人プロレス』があった。当時、姿形が自分と違う、など考える以前に只々面白かった。熱くなった。

そのシーンが今目の前にある!もの凄く新鮮で、もの凄く力強かった!彼らは我々と何一つ変わらず、命懸けで生きている、いや、我々以上に命懸けで生きている!彼らを全力で応援することが、私の使命となった。

『多様性』という言葉が端々で飛び交う現代、本当に皆々が自分事に出来ているのだろうか。明確な共存に向けて動けているのだろうか。私たちがそのベースを築いていきたいと思います。

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大木 信夫(株式会社つばきHOLDINGS会長)

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